江戸のおもかげ・雑司が谷鬼子母神

 豊島区立郷土資料館へようこそ。エレベーターを降りたロビーは区内で最もよく江戸のおもかげを残す雑司が谷鬼子母神(ぞうしがやきしもじん)のコーナーです。

 鬼子母神は子授け、安産、子育て(こざずけ、あんざん、こそだて)の神様として知られています。しかし、鬼子母神は、初めは、他人の子どもを取って食べる恐ろしい化け物でした。お釈迦さま(おしゃかさま)の教えを受けて、子どもの守り神になったとされています。普通「鬼子母神」と書きますが、雑司が谷の鬼子母神はもう鬼ではなくて神様なので、「角(つの)」がないと伝えられ正式には鬼の字にツノがありません。

 1561年、現在の文京区目白台付近の「清戸(せいど)」の畑から、鬼子母神像が発見され、武芳稲荷(ぶほういなり)の森を切り開いて像を安置し、鎮守(ちんじゅ)としたのがはじまりで、1666年に、広島藩の藩主の奥方である自昌院(じしょういん)が宝殿(ほうでん 今の本殿)をつくったと言われていますが、修理工事の時、この宝殿は1664年につくられたことがわかりました。

 雑司が谷鬼子母神は宝殿がつくられた江戸初期から多くの人がお参りに集まりました。門前には茶屋(ちゃや)や料亭(りょうてい)が建ち並んで、はんじょうしました。お参りのおみやげには、「すすきみみずく」「麦藁細工の角兵衛獅子(むぎわらざいくのかくべえじし)」「風車」などの子供のおもちゃが売られていました。麦藁(むぎわら)でつくった“さんだわら”または“べんけい”とも呼ばれるものに、これらのおもちゃをさし込んで売っていました。鬼子母神の前にあった料亭を描いた浮世絵(うきよえ)もあります。このような料亭では、お金持ちの町人(ちょうにん)が集まって俳句(はいく)をよんだりして交流していました。 

 鬼子母神堂(本殿・相の間・拝殿)は東京都の指定有形文化財(していゆうけいぶんかざい)になっています。また、境内(けいだい)の大イチョウ、参道のケヤキ並木も東京都の指定天然記念物(していてんねんきねんぶつ)になっています。

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